皆さんは、「コントロールドラマ」という言葉を聞いた事がありますか?
世界的ベストセラーとなった魂の冒険の書『聖なる予言』(ジェームズ・レッドフィールド著)に出てくる話で、人間は心理的な高揚感を得るためにお互いにエネルギーを奪い合うという内容です。
こんにちは!
元国家公務員のいさむです。
人間は、自分たちの深いところに根ざしている「自分には何か足りないところがあるという欠落感」とセットだから、多くの人たちが気づかないうちにコントロールドラマにハマっているのだそうです。
コントロールドラマ内では、
人間は、脅迫者、被害者、尋問者、傍観者の4つのタイプに分かれています。
「脅迫者」・・・「自分は素晴らしいけど、お前はダメだ」といった言葉や暴力で威嚇し、相手を萎縮させてエネルギーを奪う人です。自分が優位になるように仕向け、恐怖心を植え付けて依存させたりします。
「被害者」・・・「自分は大したことがない」と、「自分なんて」という表現をよく使う人です。同情を引くことで相手に気を使わせたり、自分に起こったひどい出来事を相手に責任があるように語ったりして、受け身的にエネルギーを奪います。
「尋問者」・・・批判的で、相手の欠点ばかりに注目する人です。人を問い詰めることでエネルギーを奪います。そして、自分自身が脅迫されると脅迫者に変わります。
「傍観者」・・・周囲から距離を置く、無関心な人。何を考えているか分からないようにすることで相手の気を引き、エネルギーを奪います。
面白いのは、人はこれら4つの役割のどれか1つに固定されているわけではなく、相手や場面に応じて役割を変えて、エネルギーを奪い合いを行うことです。
そして、人は往々にして、この4つのどれかの役割に無意識に入ってしまうということです。
脅迫者や尋問者だけが人からエネルギーを奪っているのではなくて、被害者や傍観者もエネルギーを奪います。
攻撃する側は人を脅してエネルギーを奪い、攻撃される側は被害者として心配されることで周りからエネルギーを奪ってしまうのです。
さて、皆さんの周りにいる人や皆さん自身はいかがでしょうか?恐らく、誰もが一度はこのコントロールドラマの状況に陥った経験があると思います。
僕自身も、学生時代は「尋問者」として、他人の欠点をあげつらうことがありました。「あなたのために言ってる」という意味不明な理由をつけて、エネルギーを奪っていたのだと思うと、とても恐ろしい気持ちになります。
そう思うと、国会はまさにコントロールドラマ以外の何者でもないですよね。
それこそエネルギーの奪い合いが目的ではないかと思うほどの様相を呈しています。ですが、政治に無関心な国民自身も傍観者や尋問者として、為政者のエネルギーを奪っている状況があることを考えると、政治家だけが悪いとは言えないのではないでしょうか?
コントロールドラマは、無意識に行われている事がポイントです。つまり、意識すれば抜け出せることが出来るのです!
コントロールドラマに陥っていないと断言できる人はどれほどいるでしょうか?たまには、自分の日頃の振る舞いを振り返ってみるのも良いかもしれませんね!
どうせなら、エネルギーを奪うのではなく、エネルギーを与える生き方をしていきましょう!
このブログでは、エネルギーを与える人間になるために、僕が日頃インプットしたことをアウトプットしているので、よろしければ他の記事ものぞいてみてください、
最後まで読んでいただきありがとうございました!!
エネルギーチャージできる休日になりますように・・・